日露戦争の始まりと児玉

日露戦争の始まりと児玉

児玉源太郎。
幕末末期に生まれた彼は、長州の出身である。
だが、長州といっても支藩の生まれのため、長州閥との相性はよくなかった。
(長州閥のドンが児玉の先輩とものすっっっごく仲わるかったのも原因だな)

総理大臣に近い男といわれていたが、結局は総理就任することはなく、日露から2年後、その命を燃え尽きさせる。

彼は日露終結後、急速に衰弱し周囲に「日露で持てる限りすべてを使い果たした」といわれた。
事実彼は陸軍であり大臣でありながら、戦争のために参謀と、自分の身分を格下げ。
そもそも児玉前任の戦略担当も、巨大な帝国との勝利をもぎ取る不利な戦争の計画のため、過労死していた。

もちろん、このときの日本に戦争回避できる・・・・・・なんてことはない。
ここで戦わなければ、日本は今でも共産国家でグルジアのようにロシアに蹂躙されているだろう。

だが、(当時)ロシア帝国の陸軍は世界最強といわれていた。
それと圧倒的国力下がる新興国日本が勝てるのか?
白人がまだ有色人種に土をつけられていないこの時期、日本の勝率は絶望でありながら、日本は戦争回避ができなかった。ロシアが戦争する気だったからだ。

 

ドイツ軍人は言った。
「児玉が参謀に降格した以上、日本は勝つ」
唯一といっていい、日本への勝利宣言だった。
ほかは、ロシアに弾圧されていたユダヤが外資を購入するくらいしか、日本への正気は無かった。

児玉は政治家でもあった。

多くの政治家は、日露決戦を避けたかった。

だが伊藤博文ですら日露決戦を否定すると「臆病者!」とののしられ、山県が日英同盟の打診をする。

そしてロシアとフランスが軍事同盟をしている以上、日本とイギリスが同盟を結べば、それは日本vsロシアの図式に他ならないのである。

 

「六割の勝利。早期決戦。早期条約締結」

これを掲げ、日露戦争の火蓋は切って落とされた!!

2008年10月10日|

カテゴリー:リサイクルブログ

「日露戦争の始まりと児玉」に関連する記事

ソーシャル

track link リサイクルブログ あわせて読みたいブログパーツ